- Bell Quest 冒険の書

風車とチーズとアムステルダムの旅_2014.01.18-19

 

ブリュッセルから高速道路で2時間強、オランダへ行ってきました。

ブリュッセルからのアクセスで言うと、オランダ第二の都市ロッテルダムまで1時間超、ロッテルダムからアムステルダムまでも同様に1時間程度の距離感となります。

今回の旅程は、Kinderdijk(キンデルダイク。ロッテルダム東10kmにあるキンデルダイクの郊外にユネスコ世界遺産の風車群がある。)、Gouda(ゴーダチーズのふるさと”ゴーダ”。ロッテルダムとアムスの中間くらいに位置する小さな町)経由、Amsterdam(アムステルダム。オランダ最大の都市で、憲法に規定された首都)で1泊2日。料理はベルギーの方が美味しいという前評判でしたが、今回訪問した先は食べ物が美味しくて、行ってよかった~(๑≧౪≦)食べ物が美味しくなかったら、オランダ人があんなに大きく立派に育つわけないし!と勝手に納得したのでした。

 

キンデルダイク-エルスハウトの風車網

 

 

ロッテルダムから東へ約10kmのところに、キンデルダイクの町があります。車だとすぐ行ける距離なのですが、公共交通機関を使うとロッテルダム中央駅から1時間位かかるみたい。ここキンデルダイクには、1740年代に建造された風車19基が残っています。1740年というと日本は享保の改革の頃。石やレ ンガの文化は建物の保存状態が良くて羨ましい!風車を前面に押し出して観光資源としているオランダでも、風車が19基も並んでいるのは今やキンデルダイク だけ。1997年には、一帯が世界文化遺産に指定されています。新緑から夏場にかけては一面の緑と空の青さが気持ちいい散歩道も、冬の静けさ。低い太陽が雲に反射して、文化遺産の重たさを演出しているかのようでした。

風車前は桟橋が挙げられていて、観光客は川を挟んで風車を見上げることになります。実際に人が住んでいる(?)風車もあるのか、洗濯されたシーツやシャツが風になびいていました。2、3基の風車が回されていました。

地球の歩き方によると、風車の一つがミュージアムになっており内部の見学可とのことでしたが、なぜか休館。ビジターセンター、お土産屋さんもクローズド。シーフードレストランでのランチを楽しみにしていたにゃん吉旦那は非常に残念そうでしたが、とても静かで、犬の散歩をしているマダムや馬の散歩をしているマドマーゼル、釣り人のおじさんがのんびりと休日を過ごす普段着のキンデルダイクを拝見することができました。

キンデルダイク風車群近くのノールド川沿い堤防付近に江戸時代末期の幕府軍艦、咸臨丸や朝陽丸を造ったホップスミット造船所の事務所だったレンガ建3階の建物が残っています。今は造船所の面影はありませんが、大河ドラマを観たような感動を覚えました。

 

船

 

以下、備忘。風車群のお散歩だけならゆっくり1時間歩けば一回りできます。もし、ハイシーズンに観光するとしたら…、混雑を覚悟のこと。キンデルダイク風車群のすぐ近くには大規模な駐車場はありません。ビジターハウスも十和田湖並の大きさ。レストランやショップもほとんど無さそうです。歩くと結構な距離なので、レンタサイクルを利用してもいいかもしれません。

 

 

ゴーダチーズの本場、ゴーダ

 

 

キンデルダイクから45km、高速道路で30分強で、ゴーダチーズの町ゴーダにたどり着きます。

ゴーダの旧市街は、1830年まで城壁に囲まれていました。城壁は取り壊されてしまいましたが、今でも堀川が残っていて、その内側は歩行&自動車、小型バイクでの通行となります。お堀の外側の道路は時間制のコインパーキングになっています(1€/1時間)旧市街、と言っても、町はコンパクト。どの方面から旧市街に入っても、路地を10分も歩くと中心のマルクト広場に着きます。

 

爆チャリ、交通ルールは順守

爆チャリ、交通ルールは順守

 

土曜日の旧市街はマルシェで賑わっていました。教会を中心とした広場にマルシェ、その周りを取り囲むようにオープンエアーのレストランや、ショップがぐるっと広場を取り囲む、というのが、ヨーロッパの古い町のスタイルなんだなと改めて実感。

 

 

美味しい匂いに誘われて、チーズ計量所(には行かず)の隣のカフェで、チーズパイとエルテンスープでランチ。エルテンスープは、オランダの冬の家庭料理の代表格とのことで、学校給食以来グリンピースがあまり得意ではない私でも、とても美味しくいただくことができました☆そして、チーズパイ。普通のカフェのデニッシュなのに、パイのサクサク感と中に入っているフロマージュのふんわり感が衝撃的で、夫婦揃って、チーズショップへ向けてのテンションが一気に急上昇しました。

 

 

お目当てのチーズショップへ。ゴーダチーズは、直径35cm、厚さ10cm、重さ10kg以上の円盤型で、黄色い蝋に覆われています。成熟期間に応じて、ヤング・ミドル・それ以上(?)に分けられます。5€/500g位の価格帯のようです。お店では納得したチーズを選ぶために、何種類も試食することができます。成熟度合が若いほど水分があって色も白く、成熟が進むと旨みが凝縮していく(チーズっぽい匂いと後味が強くなる)ように感じました。店員のお姉さんに紹介してもらったおすすめの中から、ヤングチーズを300gゲットしました。購入したチーズは、バキューム、とお願いすると真空パックに詰めてくれます。開封前2~3ヶ月、開封後は1~2週間保つとのこと。

 

 

 

アムステルダム

 

 

アムステルダムは都会だよ、と旦那にゃん吉の前評判どおり、アムスは都会でした。

アムスの空気感、一瞬で好きになりました。

特に気に入ったポイント

  • 街の空気感。
  • 自転車。自転車ライダーの交通マナーの良さ。
  • 食べ物が美味しい。買い食いコロッケ、フリッツ、魚料理。
  • 買い物しやすさ。アーケードで買い物しているような安心感。靴屋さんの数が多く、スニーカーも安くて可愛い。

 

アムスでは、夜と昼の散歩でミュージアム広場、ライツ広場、ダム広場、中央駅、旧証券取引所の周遊、ゴッホ美術館と国立ミュージアムを見学しました。文化レベルも高く、見所満載の街なのですが、とりあえず街を歩き回るだけで燃え尽き症候群。17世紀からの面影を残すレンガ建ての街並みが残り、オランダ籍企業の多くが本社を置くオランダ経済の中心地で、文化と芸術、飾り窓やコーヒーショップで知られる歓楽街。独自の宗教寛容性と自由思想でヒト・モノ・カネを惹きつけてきた街に何百年も刻まれてきた街の呼吸というか、空気感。霊感がある人なら幽霊とか会えちゃうかも。

 

夜のアムス散策は、ミュージアム広場を出発してライツ広場、中央駅、ダム広場をぐるっと一周まわりました。夜景がとってもロマンチック。

 

 

そして、自転車!

 

自転車天国の公道には自転車専用レーンがあり、自転車は車と同じ車線の向きで走ります。もちろん、逆走する人はいません。自転車レーンは、原付サイズの小型バイクも通行します(原付は、ノーヘル×二人乗りOK!)アムスっ子は、自転車と原付が並走できるスピード感で、ビュンビュン自転車を漕いでいきます。足も長いし!自転車に乗る姿勢もいい。アムス市街で道路を横断する時は、車よりも自転車に惹かれないように気をつけないならないね、と、右を見て左を見て走って道路を渡りました。

自転車の種類はというと、シンプルなフレームに、石畳や坂道に適した太いタイヤ。ブレーキやカゴ、変速がない自転車が、多分、半分位な印象でした。カゴ付きの自転車も、自転車の前方に八百屋さんや日本の生協の配達で使ってそうなプラスチックコンテナみたいなのを紐で括りつけただけとか。荷物運搬はカゴと同じ位、後ろの荷台にバックを載せる人も多い様子。私も、後ろバックが欲しいなとアピールしたら、旦那にゃん吉に私の自転車には荷台がついていないから無理だよ、と諫められてしまいました。

ベビーカー自転車は、今回初めて拝見。安全性の観点からは前方衝突を考えると子供を前に乗せるのはちょっと怖いなとにゃん吉は言っていましたが、自転車愛好家としてはさすがだなぁと思いました。

 

 

ディナーは、にゃん吉チョイスのオランダ料理レストラン。ミートボールは、オランダの伝統料理。”平たい魚のムニエル”は、お店のお兄さん一押し。刻んだピクルスが入った酸っぱいソースで頂きます。ふっくら柔らかいお魚は、もう2、3匹食べたくなるような味わいでした。”平たい魚”の名前を尋ねたのだけれど、お兄さんはそんなの知らないよ!と笑顔。まあ、美味しければなんでもいいもんね。

 

昼間の散策&ショッピングの合間に、いい香りに誘われてたどり着いたコロッケの自販機。ピロシキみたいな、具だくさんのコロッケ1.6€。バーガーは2.3€。少年達も犬の散歩中の夫婦も、観光中のカップルも、皆コロッケを買い食い。つられて、二人で1個コロッケを買ってみました。外側の衣もパリパリで、ファストフードとしては充分な美味しさで、歩き過ぎてから、一人1個買えばよかった…とちょっと後悔したのでした(´・_・`)路地裏で見つけた、フリッツ屋さんのポテトフリッツは、多分ローカルの人っぽいお客さんが多いお店でした。20種類近いソースから好みのものをチョイスでき、トマトケチャップが大好きな私は迷わずケチャップをお願いしましたが、ほかの人は皆マヨネーズを頼んでいました。

 

photographへリンク

 

 

■ Appendix ~オランダの沿岸部の景観と歴史

 

オランダ(正式名称:蘭:Koninkrijk der Nederlanden、英:Kingdom of the Netherlands)は、面積:日本の9分の1(九州程度)、人口1661万人(2011年)。憲法上の首都アムステルダムは人口76万人(2010年)で、森記念財団が毎年発表している世界の都市総合ランキングでは2013年世界第7位(1位はロンドン、2位NY、3位パリ、東京は4位)とヨーロッパではロンドン・パリに次ぐ大都市です。

本土の景観については、「Neder Land」(低い土地)という国名にあるように、低地・干拓の国というイメージがあります。実際のオランダの国土は、東部・南部の高地オランダと北海沿岸の低地オランダで形成されており、高地オランダは砂質堆積物と氷河地形から成り、低地干拓地とは異なった表情を見せるようです。(今回ドライブしてきたロッテルダム~アムスのエリアは、低地帯に位置していて、イメージ通りのオランダな地域でした)

「世界は神が作ったが、オランダはオランダ人が作った」(オランダの国土と干拓/NHK for School)

干拓を意味する「ポルター」という言葉が最初に文献に登場するのは、12世紀初頭のことです。干拓の歴史自体は、紀元前500年前まで遡り、古くは「テルプ」と呼ばれる堤防で囲まれた丘に村を作って生活していたようです。11世紀には「開放型排水路」(海面より低い場所に自然排水させる水路)の開削が始まります。12世紀後半には、開放型排水路とともに「築堤」がみられるようになります。14世紀になると、いよいよ風車による強制排水が始まります。16世紀末から17世紀前半の「オランダ黄金時代」には、揚水用風車のイノベーションが進み、干拓は都市商人の投資対象として発展していきます。

オランダで開拓された地域の多くは泥炭地という土壌であり、栄養に乏しいミズゴケ泥炭と栄養豊富な森林泥炭に分類されます。泥炭は干拓で大気に接触することで、再分解され、収縮・乾燥するため、時間の経過とともに泥炭の干拓地の地盤は沈下してしまいます。よって、オランダにおいては干拓完了後も排水を継続する必要がありました。初めて登場した揚水用風車はスタンデルト風車という、粉引き用風車を改造した風車でした。スタンデルト風車は揚水能力1mとキャパが小さく小規模な干拓しか出来なかったため、揚水用風車は16世紀末まではあまり普及しませんでした。

 

スタンデルト風車

 

世界遺産にも指定されているキンデルダイク(子供の堤防)でお馴染みの型の風車が登場するのは、16世紀後半のことです。風車上部のキャップと呼ばれる部分だけが回転して羽根を風上に向けることが出来る構造となっており、この風車により干拓が大規模化していくこととなります。この時期の代表的な干拓の成功事例としては、アムステルダムと同じ北ホランド州に位置するBeemster(干拓期間1607~1612年。干拓面積7174ha)があります。Beemsterの干拓は、①湖沼干拓技術の体系化、②技術的問題解決に伴う干拓の投資収益性向上、という2点で後世に大きな影響をもたらしました。特に、「築堤→環状型水路の開削→風車による排水」という干拓体系は、後の干拓のモデルとなりました。

風車で干拓を行うようになったこの時期は、ちょうどスペインと独立戦争の開戦時期でもあります。1568年に始まったこの独立戦争は、1648年ウェストファリア条約が署名され、オランダ共和国が統治国として国際的に認識されるまで80年間続きました。この間、1581年までに全てのオランダ諸州の代表者たちが統治権否認令に署名し、スペイン王からの独立を宣言したことで、オランダ連邦共和国(1581~1795)が成立しました。

オランダ連邦共和国時代に、オランダは「オランダ黄金時代」を迎えます。オランダ経済の繁栄を支えたのは、低地諸国やフランスからの裕福なプロテスタント移民、ヨーロッパの他の地域からのユダヤ人達でした。オランダ連邦共和国の独特な宗教寛容性や思想・言論の自由がヒト・モノ・カネをこの地に引き寄せていきました。1602年にはオランダ東インド会社(VOC)が設立され、香辛料貿易と香辛料を生産する地域の完全征服に取り組み始めます。またこの時期にオランダは、ヨーロッパ域内の穀物貿易やいわゆる戦争特需で国力を高めていきます。貿易と戦争は富と産業を興し、16世紀後半以降の揚水用風車のイノベーションによる高効率・低コスト化、干拓の高収益化に繋がっていきます。そして、「オランダ黄金時代」に蓄積された都市資本による大規模な湖沼干拓が現在のオランダ北海沿岸部やアムスの景観を作っていくことになります。

 

春の風車

 

オランダの風車は、18世紀末~19世紀に掛けて、最盛期を向かえます。最盛期の風車の数は、オランダ全土で9000基あったとも、1万基あったとも言われています。産業革命の進展とともにオランダの風車は蒸気ポンプに置き換わっていきます。19世紀半ばには、揚水用ポンプはほぼ蒸気ポンプのみとなります。20世紀には蒸気ポンプが電気ポンプに代わり、1927年には、Afstluitdijk(アフストラウトダイク。大堤防)の建設開始により、オランダを代表する大規模干拓「ソイデル海干拓」が始まります。大堤防の建設は1933年に完了し、その後1986年までに、フレボラント地域に4つの干拓地が造成されました。(2000年に、農地問題の解消と自然環境保全などの観点から、5つめの計画であったマルケメール干拓の計画が放棄されたことで、ソイデル海干拓は1986年に完了したこととなりました)時代とともに揚水用風車は次第に姿を消していき、現在では約950基の風車が保存されています。

 

オランダへのアクセス

 

(日本から)

  • 飛行機の直行便は、KLMオランダ航空。成田・関空は毎日、福岡は週3回の直行便で、約11時間30分。

 

(欧州主要都市からアムスへ)

  • ブリュッセル南駅から、タリスで約1時間50分、ICはデン・ハーグ乗り換えで約3時間30分
  • パリ北駅から、タリスで約3時間20分
  • ベルリンから、ICで約6時間20分
  • ケルンから、ICEで約2時間40分

 

 ■ 今回のルート

 


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